hyoubutter
ABOUT
NEW
TEXT
BLOG
LINK
MAILFORM
OFFLINE
twitter
ANOTHER



 
 
 
 

 
 
藤の木の花の満開の下 
 
- wisteria - 

BACK TEXTPAGE
OLD CONTENTS
NEXT CONTENTS



 夜風を切るように早足で砂利道を歩いていく。
 夜の公園とはいえ、月と同じ銀色を纏う姿はすぐに見つかった。枯山水の庭の、池の向こう側、藤棚の下に一人で佇んでいる。
 面倒なので炭素繊維で翼を作ると水のない池を飛び越えて藤棚のすぐ手前に着地する。
「少佐」
「……真木か」
 問うまでもなく答えるまでもなく、互いの存在は認知している。なのに兵部は真木のほうを向こうとはしない。月を眺めるように、あるいは藤の花を愛でるよ うに僅かに手を上にかざすようにしながら視線は中空をさまよっている。
「皆が待っていますよ」
 今回の仕事の打ち上げと称してパンドラ大人組は街に繰り出し、酔い覚ましと称しながらコンビニで買った缶ビールで公園の一角で宴会の続きをしている。だ から兵部がいないことに誰も気付いていないようだったが、真木も抜け出してきたのだ、不在はすぐに知れるだろう。戻らないと。
「そうだね」
 頷きながらも、兵部は更に手を伸ばすと藤の花の一房を手に取って、なのにすぐに離す。
「藤……か」
「どうかしましたか?」
「そういえば昨日、不二子さんに会ったよ」
「バベルの管理官にですか?」
 初耳だった。今回の仕事で、確かに昨日兵部の出番はなかったが、真木のほうが皆と一緒に任務の遂行に走り回っていたから、その間兵部が何をしていたのか なんてわからない。
 思春期の甘酸っぱい思いをかりたてる人間の名前を聞いて少し怯みそうになったが、儚げな兵部の横顔にそんな雑念は吹き飛んだ。
 そのくらい、藤の花の合間から見える月の光よりも今の兵部は脆く見えた。
「伊八号を見てね、驚いていた」
「手の内を明かしたのですか?」
「いずれ知れることさ」
 言い切るような言葉と裏腹に、声はまるで消え入りそうだ。
 そのまま弱く崩れてしまいそうな兵部に、手を差し出すこともできずに真木は立ちつくしている。痛いほどの沈黙の中、兵部の声が静かに響く。
「ねえ真木、もし僕が死んだら――」
「少佐!」
「もしも、だよ。そんなにいきり立つなよ」
 真木の牽制にようやく振り返った兵部の顔に、先刻までの弱々しさはなくなったように見えた。
「さんざん利用しておいて何だけど、僕は八号みたいになりたくない。死んだ後に脳だけ生きながらえるのなんて、たとえ自我がなくなっていようと、厭だ」
 手のひらを強く握って、少しの間を置くとまた真木の目をまっすぐと見据えて語りかけてくる。
「もし僕が死んだら、この脳を粉々にしてくれないか」
「……」
 自分の頭を指す兵部の指先は白く、残酷で。想像するのも嫌だ。兵部が死ぬ?自分を置いて?
「嫌です、と言っては駄目ですか」
「意外と薄情だね。でも僕だっていつかは死ぬんだぜ――目を瞑ったって変わらない、摂理だ」
 生きているもの全てに等しく訪れる定め。終わりの瞬間。それが、死。兵部の言うとおり、死なない人間などいないのだ。
「……判りました。俺が、誰にも触れられないようにします。必ず」
「頼んだよ」
 そうして今宵一番透明な笑顔を浮かべて、兵部は真木に近づいてきた。そして至近距離で歩みを止めると、かかとを浮かせて背伸びをする。抱きしめられるか と思ったが、かわりに指で額を小突かれた。
「な、何をっ!?」
「僕は死なないよ。少なくとも八号が見たヴィジョンでは、あと八年はね。だから、どちらかというと君の方が危ないんだぜ?」
「まあ、それはそうかもしれませんが、って、痛っ!」
 今度は額をピン、と指で弾かれて真木が怯む。
「むしろそっちの可能性をこそ否定してくれよ。親より先に死ぬ親不孝はないんだぜ?」
「……すみません」
 真木が項垂れると髪の毛もしょげかえる。相対的に、兵部の方が元気になったかのような空気が流れる。
「でも少佐、俺は」
 項垂れていた真木が顔を上げると、兵部はきびすを帰して歩きだそうとしているところだった。
「なに、真木?」
「い、いえ」
 皆のところに戻るためにいつもの調子を取り戻した兵部に――それが空元気だとしてももう儚さは見あたらず、だから真木は言えなかった。
 俺があなたを死なせない、と。
 何があろうと、親不孝だろうと、決して死なせないと言いたかった。でもそれはなんの根拠もなく、いわば奢りというものに近かったから、口をつぐんだ。
 そしてその判断は正解だと真木は思った。自分が命を賭しても、ということは、先に死ぬなという兵部の言葉に対する裏切りでもあり、結局のところ自己満足 ――エゴに過ぎなかったから。
 でも。
 やっぱり。自分は兵部を死なせたくない。一分一秒でも長く生きて欲しい。
 その思いを己の中に刻みつけるように、真木は玉砂利の上を一歩一歩、ゆっくりと踏みしめながら兵部の後に続いた。

                                          <終>




   ■あとがき■

海誓山盟の佐井藤さんとの会話で出てきた「秘密」ネタを書き起こしてみました。薪さ んと兵部さんの共通点から、あの台詞を是非真木さん相手に、という欲望に勝てませんでした。

                 
written by Yokoyama(kari) of hyoubutter 2010.06.13