路地の一角、うらぶれたビルを裏口の階段から上ってゆくと、4階が彼ら――真木と兵部が今い
る場所だ。裏口側には窓もほとんどなく、階段も狭い。
木刀をぶら下げて紫ラメのニッカポッカを腰で履き、下卑た笑いを浮かべた口元からは歯が溶けてなくなっている。そんな今時珍しいタイプの「見張り」の少
年を真木が遠距離から超能力であっさりのして、扉を開けるとそこはがらんとした事務所、というよりデリヘルのチラシやポップコーン、麻薬の吸引機や使い捨
ての注射針などが落ちているだけの、ただのたまり場だった。
とりあえず手前の小部屋を見ると、うずたかく積まれた海賊版・非合法DVDのほかにはデスクトップマシンが4台、うち2台は明らかに使用されておらず、
残りの2台を手分けして探す。
「ん、なんかこれっぽい、かな」
兵部の目の前にあるパソコンの外部記憶メディアは(DVD以外には)外付けのコンパクトフラッシュだけ。軽く|接触感応≪サイコメトリ≫してみたら、プ
ロテクトすらされていないファイルがひとつ入っているだけだ。
|接触感応能力≪サイコメトリ≫に導かれるままに兵部が指を動かす、と、すぐに画面に一覧表が現れる。会社名・所在地・担当者・携帯の番号、そして連絡
の取れる時間帯。
「これですね」
簡易に言うとこれはブラック企業のリストだ。それも非合法な活動をしている――たとえば今いる場所のような、そんな会社、ともチームとも言えない、組織
というには小さすぎるそんな小悪党の。
別に薬だの武器だの売春だのは関係ない。ただ、その中に多少パンドラにとって都合の悪い者がいる。しかも、この名簿の存在そのものが少々危険性が高いの
だ。
「本体も壊しておくね。真木にはやらせられない」
「何故ですか?」
「電気通すだろ、髪」
「いや、別に普通に|念動力≪サイコキネシス≫を使えないわけでは……あああ」
わけでは、と言った時点ですでに4台のパソコンは盛大にショートして火花と煙を散らす。ハードディスクは炎に熔けただろう。普通に破壊しただけでは復旧
は容易なのだ。熱で溶かすのが一番いい。
そこは兵部も考えたらしいので、まあ特に文句を言う必要もないだろうと真木は姿勢を正す。
「では、戻りましょう。にしても、誰もいないとは」
「え、誰もいないなんて言ってないよ!?」
「は?」
「僕何も|透視≪み≫てないもん。奥の部屋とかにいるんじゃないの?」
「なんですって?」
その瞬間だった。
「やいやいてめえら!」
「そこを動くな!」
開いた扉ごしに躍り出た影が二つ。
「うわー、昔の刑事ドラマみたいな」
「一蹴します」
姿勢を低くして胸ポケットに手を入れると、黒い髪が伸びて部屋の外へと躍り出る。
「わっ!?」
「てめえ、|超能力者≪エスパー≫か!?」
足を使わず、入り口に引っかけた炭素繊維が真木の引き締まった重い身体を前へと飛び出させる。
みすみす自分の身体をさらすような真似をしたのは後ろに兵部がいるからと、自分の防御力に自信があるからだ。
「お前、ECMは?」
緑色の髪の少年が、もう一人の鼻ピアスの少年に声をかける。序列的にこちらのほうが上のようだ。
「入ってるっスよ!たぶん……」
その言葉に不安を感じたのであろう。緑色の髪の少年の方が照準もあわせずに真木に銃を撃つ。
「真木!」
心配はしていなかったが一応声をかける兵部。
「大丈夫です」
カラン、と炭素繊維の一部が伸びて兵部の前に光るものを投げ捨てる。
「9mmパラベラム弾……」
これを撃った銃はベレッタM92。もう一人はおそらくワルサーP99。弾丸にはまだ情報が残っている。が、それを掴めたのは一瞬だけ。
「わああ!」
パンパンパン、と続けて鼻ピアスのワルサーP99が弾ける。拳銃と侮ることはできない、16発を装填できる銃なのだ。それだけではなく。
「真木、何か別の武器を持ってる」
声を聞いた真木が片翼で銃弾を防ぎつつ、もう方翼で目前の鼻ピアスの銃を巻き取り、そのまま首を締め上げる。
「……がっ」
動脈を押さえられてがくりと首を落とす。呆気ない意識の喪失は、いっそ気持ちいいくらいだっただろう。
真木が緊張を保ちながら、緑髪のほうが入っていった部屋へ追いかけようとした時。
「なんだ!」
「てめぇら動くな!」
「おい、ECM入ってるって言ってたろうが!」
ニット帽を目深にかぶった者、肩から首へと這う大きな蛇の入れ墨をした者、そして最後に檄を飛ばしたのが親分格なのか、似合いもしないスキンヘッドに時
代遅れの派手なスカジャンを着ている。
「バリ入ってるっス!」
沈痛な声でドアの向こうから聞こえてきたのがさっきの緑髪か。
そろそろ、真木と兵部にはECMが効かないと学習してもいい頃なのに、何故効いていないのかと責任をなすりつけあってばかりいるところが彼らの知性の限
界なのだろう。真木は彼らの前に躍り出る直前に、懐に隠し持った携帯型ECCMのスイッチを入れていたのだ。
と。すい、と真木の前に兵部が出る。と、右手にはさっきまでは持っていなかった黒い物体が掲げられている。
「これが、秘密兵器?」
「な――」
「てめェ、なんでそれを!」
それは兵部が|接触感応能力≪サイコメトリ≫で部屋の情報を読み、|瞬間移動≪テレポート≫で自らの手へと運んだからだ。
「まぁ確かに兵器と言えなくないけど、こんな風に晒したら意味ないよ。埋めなきゃね」
「地雷……ですか」
真木には地雷以外に見えなかった。黒い円盤状の、よくテレビで見る対戦車用のものよりは小さいが、
それでも異様なシロモノであることに違いはない。
1999年の|オタワ条約≪対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約≫以来、98年より廃絶の動きをしていた日本軍が地雷を全
破棄したのは2003年のこと。
以来、地雷がダブついている、というのは真木も聞いていたが、まさかこんな少年達の手にまで渡っていたとは。
その流通の末端をたやすく白日の下に明かしてみせた兵部が、あ、などとわざとらしい仕草で言い出すと。
「そういえば僕は忙しいんだった」
手に持った、見た目より重いであろうそれを無造作に、手首のスナップをきかせてフリスビーのように水平に飛ばす。
「わああ!」
「ヒッ」
近くにいる者は逃げまどい、それは人々の間を割って飛んで――景色が切り替わる。寸前で|瞬間移動≪テレポート≫したのだ。
景色は街路のど真ん中であり、今はまだ二人を見とがめる者はいない。
――本当に、人の悪い。テレポートで連れてきた真木が目線で訴えているのを一瞥して、すぐにビルを首だけで振り返る。真木の正面、兵部の後ろがさっきま
でいたビルの表側、ビル全体は一部以外はカーテンが閉め切られ、閑散としている。
と、中層階のガラスが唐突に割れ、舞う。
轟音は後から響いてきた。人々の目線が釘付けになっている場所、爆発地点は雑居ビルの4階。間違いなく、さっきまで兵部たちがいた場所だった。
あわてふためく関係者――さっきまでビルの前で4つの携帯でデリヘルのつなぎをしていた少年などもどうやら仲間だったようだ――と、駆けつけてくる野次
馬達の人の波とは正反対に、兵部と真木は街並みへと紛れ歩み去っていった。
しかしあの爆発。大して火力のないシロモノだったか、誘爆したのはごく一部だけだったらしい。運のいい。もう少し派手な花火でもこちらは全然構わなかっ
たのに。
んん、と猫のようにのびると背中ごしに兵部は告げる。
「さて、行こう、真木。データの解析は任せるね」
真木の手に媒体を|瞬間移動≪テレポート≫させると、真木はそれを握り、頷いた。
「はい。ですが、この後、何か予定があったのですか?聞いていませんでしたが」
ひらひらと手を翻す。予定、さて。ない、よな。
「何も」
「何も、ない…ので?でも先ほど、忙しいとかなんとか」
そういえばそんな事も言ったかもしれない。まぁつまりターゲットが手に入って面倒になったのだけれど。飽きた、とも言う。
「そーだねー」
兵部はあごに手をやり、少し考える。
ああ、そうだ。いいことを考えた。ここしばらく、二人で外に出る機会なんてなかったのだから。
歩みを止めると、僅かな困惑を拭いきれずにいる真木に振り返って言う。
「強いていえば、食べたいものがあるかな」
時刻はもうすぐ4時。もっとも、兵部は限りなく昼食に近い時間に朝食を食べてきたので空腹とはほど遠く、真木もまた、ここに来る途中のカフェで軽く昼食
をすませてきているのも知っている。
でもこの場合、実際の空腹度合いは実はどうでもいいのだ。
「空腹なら、直ぐに戻って、なにか作りましょうか?」
「ううん」
兵部は慇懃な足取りで真木に近づくと、がっしりとした真木の両肩に手を乗せ伸びをして、唇をひっかけながら耳打ちした。
「ホテルのルームサービスがいい」
ゆっくりと顔を離すと、発言の内容とそれの意味するところを理解し、真っ赤になってあわてふためく真木の姿が目の前にあって。
兵部はしばらくそれを笑いながら観察し、真木の心が決まる少しの時間をただ待った。
<終>
|