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闇に泳ぐ
 - swim -
 

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 水さしを持って暗い廊下を歩いていると、向こう側から兵部が歩いてやって来るのが見えた。パジャマ姿だ。普段はパジャマは窮屈で好きではないと言って着 たがらないので、本当に珍しい。不本意だとばかりに、限りなく着ている、よりも羽織っている、に近くても。
「少佐」
「やあ真木」
「今ちょうど、部屋に水を持って行こうかと思っていたところです」
 いつもなら夕食後に兵部の部屋にセットするのだが、色々あってすっかり忘れていた。時刻はあと少しで夜の11時になる。皆が自室に戻った頃だ。
「そう、用意されてなかったから珍しいなと思ってはいたんだよ」
「こんな時間にどうされたんですか?」
 兵部は少し苦笑いをして応える。
「喉が渇いたんで水を飲みに行こうかと」
「……すいません」
 これは謝るしかない。
「謝らなくてもいい」
 そう言われると真木もつられて苦笑する。
 互いに遠慮がちに見つめ合っていると、兵部がぷっと吹き出した。
「別に僕は魚じゃないんだから、水がなくても死にはしないよ」
「それはそうですが」
「まあ、風呂から上がってバスローブがなかった時は少し困ったけど」
「重ね重ねすみません、ちょっと仕事が片づかなくて」
 道理で普段はしまいこんでいるパジャマを着ているはずだ。もっとも、パジャマを着なくても夜に一度部屋に戻るともう出ることはないのだから不便はない。 今のように何かが足りなくなったりしない限りは。
 兵部が真木の隣に立つと、二人で兵部の部屋へと歩きだす。
「バスローブも用意しますか」
「もういいよ。それより君の分のパジャマを用意しておいで」
 真木の手から水差しとグラスを受け取ると、さりげなく真木を促してパジャマを取りにいかせて、自室に戻ろうとしたのだが。
 真木と別れてから自分の部屋の前にたどり着くと、そこには小さな人影がある。
「澪?」
「少佐!」
 髪を下ろし、こちらも既にパジャマ姿の澪が、兵部の部屋の扉に背を預けるようにして立っている。肩を落として、気持ち、元気がないように見える。
「どうしたんだい、こんな時間に」
「あの、その、ちょっと話が――」
 じき真木も同じ部屋にやってくるだろうが、別にそれは大したことではないと判断して、澪を部屋の中へと案内する。
「座って」
 ソファにちょこんと座った澪は、しきりにそわそわしている。
「何か、あった?学校で嫌なことでも?」
 澪たちからの情報は直接サイコメトリとテレパスとで受け取ってひととおり把握しているはずなので原因は別のところにあると思ったのだが、澪はこくんと頷 いた。
「学校っていうか、学校じゃないんだけど」
「どういうこと?」
「――カガリが」
「カガリ?」
 思いがけない名前を聞くことになってしまった。澪とカガリはカズラほど親密ではないがそこそこ仲良くやっているように見えるが。
「あいつ今日もノーマルの友達と出かけたんだ」
 澪に言われて、今日が土曜であることを思い出す。カガリもその友達とやらも、勉強よりは遊んでいたい年頃だろう。
「それがどうしたい?」
「だって――」
 弾かれたように顔を上げると、一気に言葉が口から流れ出てきた。溢れんばかりに。
「だってノーマルとはいつか戦争するんだろ?仲良くしてどうするんだよ。いずれ敵になる相手なのに、なのにあいつ――」
 そういうことか。いずれ浮上するであろうと思っていた話題ではあったので、用意していた回答を述べることにする。
「澪は優しいね」
「え?」
「いつか別れの時が来てカガリが悲しむのを見たくないんだろう?」
「違うよ、あたしはチクりに来たんだ、あたし――あたしすごいイヤなやつだってわかってる。ホントは羨ましいだけなのかもって」
 澪は拳を膝の上で握りしめ、目線を落として一息に告げた。
「澪はどうしたい?」
「わかんない。ノーマルの学校に行くって決めた時は、こんな風になるなんて思わなかったし……」
「じゃあ、僕がカガリとその友達とやらの仲を引き裂いたら、澪は安心する?」
「違う!そんな、そんなこと、だめ。それはきっと違うし、イヤ!」
 澪は目にうっすらと涙を浮かべて兵部の目を見てくる。その視線はまっすぐなのに、思いは惑っているようだ。
「困ったな。僕にもその答えは出せそうにない」
「え……」
「澪、考えるんだ。そして考えることを止めないで。本当はどうするのが一番いいのか、どうしたいのか、答えは君の中にしかないんだ」
 失望されるかと思ったが、何故か澪はほっとした様子で息を吐く。
「その時まで時間はまだある。大丈夫」
 ノーマルとエスパーの対立が顕在化してくるのはもう少し先のはずだ。
「うん……」
 そして強張っていた身体の力を抜くと、澪はちらりと時計を見てあわてて立ち上がる。
「ごめんなさい少佐、もうこんな時間」
「構わないよ」
「少佐……」
 澪はぺこりと頭を下げると、大きく息を吸って言った。
「ありがとう少佐、あたし考えてみる……うん、自分で考えてみる」
「そうするといい」
 柔らかく告げて入り口まで見送ると、澪はもう一度軽く頭を下げて廊下を自分の部屋のほうへと駈けていった。
「さてと……」
 兵部は軽く頭を掻いて、きょろきょろと辺りを見回す。澪が駈けていったのとは別の方向へ足を向けて、角を曲がったところにひとつの人影があった。
「ごめん、待たせたね、真木」
「いえ」
 非常にさまにならないことに、真木はその手に自分のパジャマを抱えたまま隠れていたのだ。
「というか、俺の方が、今日おじゃましていいんでしょうか」
「そうだね……」
 兵部は澪の持ってきた問題を少し考える。澪のこと、学校のこと、ノーマルとの兼ね合いについて、そしてエスパーの未来について。
「あまりしたくないかな」
「では退散しますが」
「ちょっと早とちりしないでくれよ」
 その場で自分の部屋へときびすを返そうとする真木を、兵部が止める。
「君は何もなくてただ一緒に眠るのは嫌いかい?」
「そんなことはありません」
「ホント?」
「本当です」
「ならお入り」
 戸を引いて真木を呼ぶ。真木はすんなりと部屋に入ってきた。
「早くはやく」
 そしてベッドに入り込んで真木が着換えるのを待っていると、真木よりも先に長い髪の毛が兵部の頬をくすぐった。少し遅れて真木の声が振ってくる。
「おじゃまします」
「どうぞどうぞ」
 もそもそと二人でベッドの中で互いの姿勢を探りあう。結局、仰向けの真木の腕を枕に兵部が横向きに寝る恰好になった。
「……澪とは、どんな話を?」
「うん、学校の話とか、かな」
「そうですか」
 それきり、真木は黙る。真木が学校に行っていなければいけない頃、兵部は収監されていて真木の近くにはいなかった。故にそれ以上の話題がないのである。
「海ってさ」
「はい」
「いろんな魚が泳いでて、暖流と寒流があって、その境界は荒れるけど、その分だけ豊かになるよね」
「そうですね」
「でも暖流と寒流は絶えず巡ってて、同じ方向に流れることはない」
「ええ」
 二人の会話が明かりを消した部屋に静かに流れていく。
「けど、確かに交わらないとわかっていても、その恵みを少しでも味わってほしいと思うのは、僕の身勝手なんだろうか」
「そんなことはないと思いますよ。学校に行きたいと言い出したのは澪達のほうですし」
「そう、かな」
「ええ、ですから」
 真木が身体を兵部のほうへ向けると、腕枕をしていないほうの手が兵部の髪をふわっと撫でた。
 大きな掌はいつもと同じく暖かい。
「あなたが全てを背負う必要はないでしょう」
「真木――」
「だから、俺にも言って下さい、あなたの考えを。今みたいに」
「……うん」
 澪達にはいろんな経験をしてほしい。楽しいことも辛いことも。そして何かがあったらその責を自らが背負えばいい。そんな考えを見透かされた一言に、兵部 は素直に頷いて、ゆっくりと目を閉じた。
「ありがと、真木」
「いえ」
 おやすみなさい、と告げる真木の低い声が、身体を包む体温が、ひどく優しく感じられた。



                                      <終>



   ■あとがき■

お題: 「夜の廊下」で登場人物が「見つめ合う」、「魚」という単語を使ったお話を考えて下さい。

 魚、苦しいなー魚。お題として苦しかったです。そしてなにげに澪を書くのははじめてのような気がします。くぎゅううううぅぅ。

                  written by Yokoyama(kari) of hyoubutter 2010.10.23