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- Brother and Sister - 

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 名を知られることは弱みを握られることを意味する。
 だから互いに決して名乗らない。もちろん最初から名などない者も、いる。
 そしていれかわりたちかわり「仕事」に出て行っては、黙々と戻ってESP錠で拘束される。
 健康なさかりの年頃の少年少女は、明らかに残り物の食事しか与えられないし、回数も栄養価も満足ではない。日は当たらず、自由はほとんどないので頬はこ け、足は萎え、ますます逃げ出すことなど不可能になる。
 私はずっと思っていた。
 『世界は不平等に満ちている』

「不平等だわ。なんであたしが風邪ひい て、澪が大丈夫なのよ……」
「へっへーんだ。日頃の行いだね!」
 腰に手を置いて、胸を張る澪を見ている と心底納得いかない気分になる。二人でうっかりカタストロフィ号から海上に落ちて、びしょぬれでお風呂に入って着替えて、食後にアイスを食べて。たしかに ちょっと寒暖の差が激しかったかもしれないけど、次の日に倒れたのが私のほうだけなんて。
「やっぱりあれかな、なんとかは風邪ひか な……きゃっ!」
 額を両側からぐりぐりとげんこつで押さ れて怯む。澪本人はニヤニヤと笑ったままだ。手だけをテレポートで頭の両側に運んだのだ。
「なにをっ!そんなこと言うのは、この口 かっ!」
 悔しいから腕を木質化させて澪の口を塞 ぐ。
「んん、んー!」
「いたいいたいいたいっ、澪痛いっ!」
 ふりほどこうとする澪の腕に先はなく、 かわりに私の額を更に圧迫してくる。
 まったくもう、どうしてこの子といっ しょだとついこんな風になっちゃうんだろう。
「ぷはっ、カズラのバカー!」
 ついムキになっちゃって、でも楽しく て。時々こんな風に痛い目も見るけど、じわりと涙が浮かんだのは、痛みだけじゃなかったと思う。

 顔だけは知っていた、|発火能力≪パイロキネシス≫の少年。
 両手も両足も拘束されてるのに、時々奴らに歯向かっては、よく殴られていた。
 とある「仕事」から戻る途中、私たちは話をした。
『お前の名前は?』
 窓に貼られた布がゆらゆらと揺れて表情をつけた影を投げかけてくる、が、それを見るものはいない。
『……ごめん、やっぱ言えない』
 この少年とは年も近いし、仲良くなれそうな気がした。だから、弱点になってしまいそうな人間には、教えられなかった。
 どこかの女が死んだと聞けば心は痛まない。でも私が死んだと知ればきっと心が痛むだろうから。

「まぁとにかく、カガリも心配してたし」
 わざとらしく口と喉とを――テレポート から戻ってきた自分の手でさすりながら澪が言う。
「……その割に、お見舞いに来る気配もな いけど」
「あれー?カズラったら、カガリが来ない のが心配〜?」
「どうしてあたしが心配しなきゃいけない のよ!」
 顔が赤くなる。きっとこれは熱のせい だ。
 からからと、でも意味深にたっぷりと 笑った澪はやがて、時計を見ると私の部屋から引き上げることにしたらしい。
「でもとにかく、今日はゆっくりしなさ いって少佐も言ってたわ」
 そう言って、部屋から出て行った。
 私は目を閉じる。なんだか、よくわから ないもので心がいっぱいだった。
 この心臓の直ぐちかくにあるよくわから ないなにかが、悲しみの海からいつも私を浮かび上がらせてくれるのだ。

『こいつに手出ししたら許さない……!』
 彼がそう言って私の前に立ちはだかった。
 いつのことだったのかは思い出せない。ただ、その日はたまたま彼と私が同室になっていた。彼は両手にESP錠を掛けられたまま、私は足にESP錠をかけ られていた。
 さらに私の方は、破れた服の前を握りしめていた。まあつまり、そういうことになりかけていたんだと思う。
 教官、と呼ばれていた男がズボンの腰を引き上げながら下卑た笑いを私と彼とに投げかける。
『エスパーのガキといえど男と女ってか』
『違う!俺は……ぐはっ!』
 つかつかと寄ってきた教官に頬をひっぱたかれて、少年がよろける。
 それだけではない。銃を取り出したかと重うと、今度は銃床でその頭を殴り出した。
『ぐっ、ガっ!』
『やめて!』
 叫んでも彼を殴り続ける教官の手は止まらないし、少年はそのうちぴくりとも動かずになってしまった。
『お願い、彼だけは助けて!』
 言ったそばから、教官は手下を数名呼んで、気絶してしまった彼を部屋から引きずり出そうとしている。
『ねえ?どうするの?カ――彼をどうするつもりなの?』
 それを考えただけで、枯れていたと思った涙が溢れ出してきた。
 けれどその心配こそが罠だった。私はまんまとそれにはまったのだ。
『なぁに、発火能力ってのは便利だからおいそれと殺しはしねぇよ。でも、まぁ、一生足腰が立たない程度にする位、朝飯前だけど』
『そんな!』
『なら、わかってるな?そうだな、今日は邪魔が入っちまったから明日の夜。せいぜい準備しておけよ?』
 何の準備か。反吐が出そうだ。でもそうも言っていられない。これは取引だ。
『うん、わかった、だからお願い……!』
 本当は怖かった。名も知らぬ少年のことなどどうでもよかった。
 でも私は私の涙に嘘をつけなかった。
 この涙だけが、いつも私を裏切らない唯一のものだった。

 瞳を開けると夜のようだった。
 ここはパンドラ。ここはカタストロフィ 号の中の、私の部屋。
 ぼんやりした頭で部屋の中を確かめる。
「ああ、あれは夢だったんだ」
 こっちが現実なんだ。嬉しくて、でも何 故かほんの少しだけ切ない気持ちで、私はまた眠りに身を委ねた。

『”――”、私の声……聞こえる?』
 私の声に彼は目覚めた。黒い髪は砂を拾って白っぽくなっているし、顔は殴られてひどい有様だし、頬にも腕にも擦過傷ができている。
『ねえ、目が覚めた?』
 私が聞くと彼は不機嫌そうな顔をした。
『なんだよ、突然』
『突然じゃないわよ。あなた、ずっと眠ってた。心配したんだから』
 言われれば、という感じであちこちをさすりはじめる。
 彼が気絶している間、私が頼んだのだ。今夜一晩でいいから彼の面倒を見せてくれと。あいにく同じ部屋とはいかなかったけれど、ちょうど獣を入れておくの と同じ、腰の高さまでのオリが二つ並べられていて、私と彼はその隣同士に入れられた。
 と、さっきまでの雰囲気はどこへやら、なんだか優しい瞳でまじまじとみられているのに気付く。
『どうしたの?』
『いや、髪、伸びてきたなって思って――左側に寄せて結ぶの、よく母さんがやってた』
『母さん?なら私たちは家族ね。私はお母さんの真似をする末っ子で、あなたがお兄さん』
 私にとっては、きっと彼にとっても、家族なんていうものはとうの昔の思い出の存在でしかなかった。
 夜は更け、朝が来て、何故か人の気配が消えていく。
 そんな中二枚の鉄格子を挟んで私は彼に言葉をかけた。
『あたしたち、本当にきょうだいだったらよかったね』
 名も知らぬ他人同士ではなく。
『そしたらいつでも一緒にいられたのに』
 男でも女でもなく。血だけは繋がっていられたのに。
 なのに彼は不機嫌そうにすると。
『……は、……だな』
『何か言った?』
『………何でもない』
『?』
 よく分からないけれど、後にして思うと、イヤだ、と言われていたんだと思う。
 兄妹だと何が都合が悪いのか、このときは分からなかったっけ。

 また目が覚める。時計を見ると早朝の5 時。朝に強い子ならそろそろ目が覚める頃か。
 気付くと、額のタオルは新しいものに なっている。冷たくて、気持ちがいい。
 誰かが看病してくれたんだ――今の私の 『家族』の誰かが。
「誰かなぁ……、あ、パティかあ」
 サイコメトリでタオルの主を捜すと浮か ぶ、ポーカーフェイス。そのパティが交換してくれたタオルを目の位置にまで下げて、眼球を冷やしていると、また眠りが訪れる。

 朝から結局何も食べさせてはもらえず、数回外に出されたがそれも最低限の身だしなみを整えるだけで、長い長い午後を越えて、夜に「教官」がやってきて、 私を教官室へと連れていった。
 彼は何かを叫んでいたが、私は聞こえないふりをした。
 ベッド誘導され、ESP錠を両手に別々に掛けて、ベッドのポールに束縛される。そして教官が近づいてきて、のしかかってきた。服の前があいていて、そし て私の服にも手をかけ始める。
『どうせここは明日、お前らごと爆破しちまうんだよ。今なら誰もいない。それにエスパーのガキといえど、死ぬ前に楽しませてやったほうが多少は役立ったっ てもんだろう?』
 世界を平等にしようなんて夢を見ている輩がもしもどこかにいるのなら。
 今すぐここに来て。そして私を助けて。
『イヤ……やっぱり、イヤだ……!』
 目に浮かぶのは|発火能力者≪パイロキネシス≫の少年。炎の如く怒りに満ちた、でもまっすぐな瞳。
 彼の名前を本当は知っていた。私はサイコメトリも少しできたから。でもそれを知らせたらしがらみを作ってしまう。
 けれどそのとき、私は本気で。
『助けて、”――”!!』
 彼の名を呼んでいた。
 後にして思えば、奇跡、というのは、その瞬間の私のためにある言葉だったのだろう。
 ただ、来たのは彼じゃなくて、まったく見たことのない「少年」だった。
 それも来た、というより現れた。ECMの効いているはずの|超能力者≪エスパー≫飼育棟なのに、私の頭の位置にテレポートしてきたかと思うと、そのまま 膝を前に出して、教官の頭にめり込ませた。教官はのけ反るようにしてベッドから落ちてくたばってしまう。
『やれやれ。敵襲だってのに、のんびりした奴もいたもんだよ』
 嫌悪感を隠そうともしない顔はひどく整っていて、肌は彫像か何かのように白い。黒く、首の上までの襟のある体にフィットする服装で、けれど一番印象的な のは銀色に輝く、少し長めの髪の毛だった。
 と、部屋の扉を開けて後ろに控えていた黒づくめの長髪の男がジャケットを脱ぐ。その姿に、反射的に体に力が入る。私の怯えを見て取ったのだろう。少年の ほうが男からジャケットを受け取ると、私に差し出した。
『これを着るといい。ああ、僕らは敵じゃない。証拠に、ホラ』
 少年がそう言うと手の拘束が解ける。ベッドのポールに繋がれていたESP錠が、粉々に砕けていた。
 呆然と両手首を見る私に、少年が手に持った服を再度勧めてくる。
 私は素直にそれを受け取った。少年は第一印象よりも若く、十五、六歳かそこらに見えた。

 ノックの音が聞こえて、体を起こしてい た私はどうぞ、と入室を促す。すると扉の向こうから、ほんの今まで夢に出てきた少年がお盆を持って立っている。
「くず湯だよ、大丈夫?口に入りそうか い?」
 彼の名は兵部京介。皆は少佐と呼ぶ。
「うん、熱はもう下がったから」
 寝起きに図った体温は平常値で、むしろ 少しお腹が空いていたくらいだった。
 不思議なことに、目の前の少年は、出 会ったときと寸分違わぬたたずまいをしている。最初は、成長を止めた、なんて信じられなかったのに、この分ではあと一、二年も経ったら私の方が越してしま うだろう。
 くず湯は甘くて、優しい味だった。おか わり、と言ったらもう少しで朝食だから、その時にまた真木に作らせるよ、と少佐が笑った。真木、というのは、少佐と始めて会った時に後ろに控えていた、私 が恐怖を感じた黒い服の男性の名前だった。今ではれっきとした「仲間」だ。頼りにすることこそあれ、もう畏怖は感じない。

『私に、かわりに何かしてほしいの?』
『そうだね。君に、仲間になってほしいんだ』
 そして彼は簡単に話した。今ゲリラを殲滅しているのはパンドラという組織で、彼はそこの長だということ。ゲリラはほぼ壊滅状態であること。それから、パ ンドラのこと――彼の同類のこと、理想、理念を。
 言うこと全てを信じていたわけじゃないけれど、少なくとも今までここのゲリラに飼われてから出会った誰よりもまっとうに見えた。
『いいけど、でも、一つお願いがあるの。もう一人、一緒に連れて行ってほしい子がいるの』
 もちろんそれは、あの|発火能力者≪パイロキネシス≫の彼のことを指していた。
『さっき名前を呼んでいた子かい?”――”とかいう』
 聞かれていたのかと思うと少し恥ずかしくなる。でも私は素直に頷いた。

「おい」
 声のしたほう、少佐と入れ違いに、彼 ――カガリがそこにいた。
「カズラ、熱は大丈夫か?――カズ ラ!?」
 なぜだかわからないけれど、その姿を見 た瞬間に涙がこぼれていた。
 いつも、眠りにつこうとするたびに不安 だった。いつ敵襲が来るか、戦場にかり出されるか。
 今でも不安がないわけじゃない。一人に なって胸をよぎるのはいつだって不吉なものばかり。
 でも最近は、それが少し減った気がす る。なんというか、これが楽しい、ということなんだと思う。
 もちろん、楽しく過ごすための努力だっ てした。レベルの高いESPの訓練の間、出された課題をどうしたらいいのか何度も途方に暮れた。自分はここの組織にとっていらないのではないかという不安 が常に隣にあって、それを払拭するためには結局戦場に出てしのいでいくしかなかった。それを想うと、ほら、今みたいに涙が出てくることなんてよくある。
「うん、平気。ちょっとイヤな夢、見ただ けだから」
 笑ってみせると、あの頃よりは少し短く カットされた髪の毛を揺らして、カガリは一層不安げにこちらを見る。この目はよく知っている。二人で一緒に囚われていた時も、少佐によって解放された時 も、いつもこうやって自分を気遣ってたっけ。
「大丈夫なのかよ、ホントに」
 不器用な優しさを受け入れる心の余裕が あることを思うと、やっぱり幸せなんだと思う、私は。
 この涙に、もう嘘をつかなくてもいいん だから。
「大丈夫、いいの。今は血よりも濃いもの でつながっているから、いいの」
 だから、過去も未来も全てを誇りに思お う。
 みんなを信じよう。カガリも、澪も、パ ティも、真木さんも、少佐も、そして自分も。みんな、みんな。

                                        <終>




   ■あとがき■

 カガリが何故喧嘩が弱いの かを補足。(という名の妄想)。
 元ネタは湾岸ミッドナイトとDJ NOBUさんのブログより。

                   written by Yokoyama(kari) of hyoubutter 2010.03.10