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天体観測
 
- Moonlight or Satellites - 

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「それでね、二人して木の下で寝ころんで。そしたら彼ったら、あれはなんていう星かな、なーんて言うのヨ」
「……大使」
「だから教えてあげたの。よく見たら動いてるあれはネ、星じゃなくって、人工衛星ヨ、って」
「マスール・オカマノフ大使」
「そしたら彼ったらぁ」
「マッスル!!」
 ダン!と穏やかならざる音を立てて書類の束を机に叩きつけたのは、反社会的超能力者組織パンドラのナンバー・ツー、真木司郎である。
「なぁに真木っちゃん。怖いわヨ」
 全然怖がってる様子もなく、ただ大げさに身を捩ってみせてみたのは、マスール・オカマノフ大使。こと、マッスル大鎌だ。
 だがその姿はいつもと違い、オーダーメイドスーツをスマートに着こなし、サングラスのかわりに伊達眼鏡をかけて、とても「あの」マッスルと同一人物とは 思えない。
 ――のはあくまでうわべと、他人の目がある時だけであり、まわりにパンドラ以外の人間がいなくなると素に戻る。
「だってちょうど今くらいの時間のことだったんだもン。少しくらい思い出に浸ってもいいじゃない」
 テーブル越しでも、上半身の動きでマッスルが器用に腰を回しているのがわかる。手のジェスチャーつきだ。
 こういう人間だと判っていても、何故自分がマッスルの昔の『男』の話を聞かねばならないのか。
「一人で浸ってるなら構わないが、とにかくこっちの草稿に目を通してもらえないと俺は今日も帰れないんだがな」
「真木っちゃん、昨日帰ってないんだっけ」
「ああ。原爆・原発被害者献花の式典のリハーサルのあと、そのまま寮で仮眠しか取ってない」
「わかったわ。今から読むから待ってて」
 デスクにきちんとした姿勢で座り直すと、渡した草稿を読み始めるマッスル。
 真木はとりあえず胸をなで下ろす。
 実際の所、「ロビエト大使」としてのマッスルは非常に有能だった。職務の傍ら、サルモネラ大統領直々の依頼による細やかな工作に関しても非常に段取りよ く進め、彼の正体を疑う者もいなかったのだ。――勿論バベル以外では、だが。そちらは兵部直々に工作を行っているはずだ。
 現在の真木の身分は、マッスルの補佐官。文字通り職務全般の補佐が仕事だ。もう一人補佐官がいるが、そちらのほうは本来の正真正銘のロビエト政府から来 た大使補佐官だ。四十代半ばのロビエト人だが、海底油田の件からこちら、マッスルに――否、マスール・オカマノフ大使に信頼を寄せており、現在はサルモネ ラ大統領との、事実上のホットライン的存在となっている。
 直接的な補佐が多い真木に対して彼は対外的な、他国政府との交渉の下準備や本国ロビエト政府との事前のすりあわせなどの露払い的役割が多く、これはノウ ハウのある者でなければ難しい面が多々あり、真木も彼の存在を重んじている。
 あとは秘書がこれまた2名。ともに女性で、受付、応対、接客、例えば今マッスルが読んでいる草稿を書いたのが真木ならば、それの浄書などを手がけること が多い。どちらも若いが七カ国語以上を流麗に扱う才女だ。真木はいつかのバベルの受付嬢二人を思い出したが、あれほど喧々とはしていない。むしろ静かな中 に実力を隠した縁の下の力持ち的存在で、来客があった時に大きなトレイに一人で16脚のティーセットを片手で持ち、微動だにせずもう片手で楚々とマッス ル・真木含めた全員に紅茶を出した時は、軽く感動すら覚えたくらいだ。砂糖とスプーンも添えられて。後日聞いてみたらもう片方の女性がくすくすと笑いなが ら教えてくれた。あれにはちょっとした仕掛けがあるんです、実は、こぼれにくいように、お茶の量が少しだけ少なめになっているんですよ、とのことだった が、実際にそのお茶を口にした真木にすらさっぱりわからなかった。
 そんな彼女たちも各々の部屋あるいはマンションに戻り、今は執務室に二人。西向きの部屋には窓が設けられ、大使館街らしい緑に包まれた屋敷の庭が見え る。
「ええ、読み終えたワ。特に直すところはないと思うわヨ。リハーサルのデータもちゃんとPCに落としておいたから、見ておくわネ」
「ああ。では、これが決定稿ということで、式典の席次表に来賓の一覧もさっき届いていたので、すぐに揃えて渡す」
「ラジャー」
 マッスルの投げキッスを華麗にスルーした真木がバタバタと去ると、室内は急にシン、と静まりかえる。ロビエト大使館内第四大使執務室、四という数字はこ こが四階だからである。
 何という気もなしに外を見ると、もう日はすっかり落ちている。しかしいくら緑地や環境に配慮した大使館街といえど、視界の行き止まりにあるビルの群れが 邪魔をして、衛星などは見えはしない。
「そんなに、船に戻りたいのかしらン」
 口にしてから、あまりに今更な発言なのだと気付く。
 船にはあの人がいる。ここにはいない。
「今頃何してるのかしらねェ、兵部少佐」

 暗い廊下をひとり歩き、真木は手に抱えた書類の束に紳士録から抜粋した資料を加えたものを、マッスルの机の上に積み上げた。
 表面上の就業時間は過ぎているから、明かりはかなり暗めに落としている。それでも外からでも明かりがついているのはわかるのだが、部下を持つ者はそうい う気遣いも必要だ。大使が仕事中では帰宅できない身分の者は多いのだ。
「――では、あとは任せたぞ」
「うん。でも真木っちゃん、明日も普通に来るんでしょ?」
「ああ。今日はあとは寝るだけだが、明日の朝は普通に出勤して随行する」
「お疲れ様」
「そういえばお前は?」
「夜番シフトよ。午後から対外的な仕事がなかったんで休んでたワ。これ読んでスピーチ頭にたたき込んで、その後の懇談会のための資料も読んで、今日の分の 執務を見直すツモリ。そのあとコレミツと交代したら寮のほうで仮眠取って朝にはここで合流。で、いいでショ?」
「ああ。――ん?」
 真木の答を聞くと、マッスルはくるりと椅子を後ろに向けた。夕方は西日の入る大きな硝子窓を見ながら、マッスルが軽く息を吐く。
「月、出てるわね」
「三日月だな」
 真木もついつられてそちらを向く。さっき衛星の話をしたときには何もなかったはずなのに。椅子に座ったままのマッスルが、斜め上に見上げるような形で、 立ったままの真木をちらりと見る。
「ねぇ」
「ん?」
「アタシ達は、衛星みたいね」
「達?」
 唐突なマッスルの言葉についていけない。
 そういえば、さっき人工衛星がどうとか言っていたか。
「そう。星の引力に惹かれてやってきて、捕まってしまったの」
「……」
 アタシ『達』。たしかに。
 星、というのはきっとある人のことを指しているのだろう。
 パンドラのメンバーの多くは、その比肩するもののない力に惹かれて集まってきた。勿論、当人がこと勧誘に関しては単独での接触を好むという面も多いが。
 また窓の外に目線を向けてしまったマッスルの顔は見えなくても。
「天体観測。って言えば、素敵に聞こえるケド、つまりはくるくると周りを回ってるだけで――」
 物音を立てるのが何故か忍びなくて、真木は立ちつくす。マッスルの目線を追うかのように、西の空の低い場所に、ひっかかるようにしてなんとかその姿を維 持している月を見ているしかなくて。
「――近づこうとしたら、燃え尽きちゃうだけなのヨね」
「……ああ」
 わかる。とても、よく。
 あの力はいつだって、気に添わなければ誰に対しても即座に振るわれるだろう。そしてそんな彼自身が誰よりも太陽を焦がれ待ち望んでいる。そのためなら、 周囲を回る小さな星を落とす程度のことは、きっとためらわない。
「……俺も、そう思うよ」
 どんなに惹かれても、近づくことはかなわない。
 そのまま音を立てずに部屋を出ようとノブに手を伸ばすと、いつもの調子でマッスルが声をかけてきた。
「アラ?真木っちゃんは違うじゃないの〜」
「?」
 つい立ち止まって振り返ろうとして。
「もう衛星なんて小さなものじゃないデショ?少佐にとって。月、とまではいかなくても、あの三日月くらいの存在ではあるんじゃなくって?」
「――そんな事は、ないと思うが」
 そんな大それた事。
 夢見た時はあるし、努力も怠らずにいるように思っているが、それでもきっと、まだ足りない。兵部にとって自分は、大きな存在なんかじゃない。この先も ずっとそうかもしれない。
 人間の能力には限りがあって、出来ることと出来ないことがある。
 実のところ、最近の真木は少し自信をなくしている。マッスルの打つ手が、その経過が、そして結果が、自分ではとうていそこまでの成果を得ることはできな いだろうと思わされる、そんな事が続いているからだ。たとえ真木が動くのはほとんどが闇の世界であり、今のマッスルのように表面的かつ計算的なものと比べ るのはナンセンスだと頭では理解していても。
「ナンバー・ツー、デショ?」
 マッスルに悪気がないのはわかっている。でも。
「……すまないが、もう戻る」
 三日月とマッスルとに背を向けると出口へ向かう。
 今はこの部屋を出たかった。ロビエト大使館内第四大使執務室。一刻も早く。

 『ゲート』を通って、カタストロフィ号へと真木は戻る。
 あんなに帰りたかったはずの場所なのに、身体が重い。
 じわじわと疲れが蓄積してきている、そんな気がする。そしてそれは思考を余り良くない方向へと陥れつつあるような。
 なのに。
「真木」
 廊下の向こうに、一つの影。黒い学生服姿――今日は珍しくその前を開けて、白いシャツが見て取れる。
「おかえり。遅かったね?」
「まあそうですね」
 兵部はいつもと同じ、涼しげな顔だ。特段嬉しい訳でも、そうでない訳でもない顔。
 本当は今のタイミングでは会いたくなかった。このまま部屋までたどり着けたら良かったのに。
「昨日さ、ATFのエージェントからダイレクトにテレパシーが……って、真木?」
「え、あ、はい」
 擦れ違う、という淡い期待は、真木の横に並びながら、同じ進行方向へと踵を返した兵部の姿から、叶えられなかったと知る。
「ナンバーツーが不在だから直接連絡した、とか言ってきて僕にコンタクト取ってきたんだ。でも真木は仕事道具は一式持って行ってて連絡なんかいつもどおり に取れるはずなのにさ、あきらかにカマをかけてきてるんだと思うんだよ」
「ですね」
「だから今のロビエト側にとって不利にならないような――」
 言葉は聞こえる。記憶も出来る。でも意味が辿れない。
 次第にただ頷くだけになってくると、兵部も歩みを止める。
「――って、真木。ねえ、真木?」
「ですね、はい、聞いています」
「……キミ、どうしたの?一体――」
 真木の顔を覗き込んで、身体がすぐ触れられる距離にあって。
 兵部がその気になったら真木の心を読むぐらいは簡単なのだと知っている。
 でも今は心を閉ざさずに兵部に向き合おうというつもりになれない。
「すいません。本当に疲れてて――とても。後で、いいですか」
「それは構わないけど、僕に心配されるのが嫌なの?」
 そんな。心配をかけることそのものが、真木にとって不本意なだけだ。
 目を見られたら、虚飾にまみれた何かが剥がれ落ちつつあるのに気付かれそうで、自然、下を向いて目を閉じた。
「一人に、させてください」
 兵部は僅かに訝しんだようだが、咎めるでもなく食い下がるでもなく、ただ、そう、とだけ言ってその場を去ってしまった。
 兵部の足音が消えるまで、何故か真木は瞼を開くことができずにいた。

 放り出したい気持ちにブレーキをかけて、仕事用具を自室のデスクの上に置く。ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外す。
「――はあ」
 身体をベッドに投げ出すが、眠いという訳ではなく、ひたすら怠い。
 服を脱いで、シャワーを浴びて、眠る、という行為の全てがどうでもいいことのように思える。
 ――月とは言わなくても、三日月くらいは――
 どうやら疲れているのは仕事ではなくマッスルの言葉が原因のようだ。
 だって。
 自分がもし、どんなに欠けていても、月と同じだけの存在になってしまったら。そうでなくとも、大きな星に育ってしまったら。
 互いの引力に惹かれて近づいた先は、惑星の壊滅――兵部を壊す事になりはしないか。
 白亜紀時代の終わりは、ユカタン半島に激突した隕石によって引き起こされた。その直径は10km、ただそれだけなのに恐竜たちは死滅した。
 いや、それこそ奢りだ――少佐はそんなに弱い方ではない。
 自分に言い聞かせながら、でも、近づきすぎているのは事実なのだとため息を吐く。
 一日会わずにいただけで、こんなに会いたくて。
 一日留守にしただけで、兵部がまるで待っていたかのようなタイミングでやって来て。
 いつもならそれに疑問を考えることなどなく、ただ嬉しくて、足りない時間を埋める努力をしただろう。けれど無理だ。今は。今の自分は、少しおかしいか ら。
 思ってもみなかった、近づきすぎることで壊してしまうかもしれないという可能性――。
 ハア、と更にもう一度息を吐く。
 このままベッドに入って眠ってしまうか。
 けれど眠れるとは思えない。
 芽生えた不安。それを払拭するには距離を取ることが必要だと思いながらも、兵部に本気で手を取られ、腕を引っ張られたのなら、きっと自分にはなすすべな どない。
 しばらくはベッドの上で、ただ何も考えないようにと願い続けたけれど、どうもそれは叶えられない願いのようで、かといってやる気も眠気も訪れはしない。
 ふと、酒が飲みたい。そう思った。
 人はこんな時酒を飲むのだということを、ずいぶんと久しぶりに思い出した気がする。もう一度スーツを着て――さすがにネクタイは緩めているが――着替え 一式と仕事道具を持つと、部屋を出る。
 ……今夜はもう、この部屋へは戻らない。
 扉の閉まる音だけが無人の室内に重く響いた。

 ロビエト大使館は式典・会談・接待向きの部屋の並んだ大理石作りの下層階と、その上部には同様に白い石を纏った、しかし近代的なビルとなっており、執務 はそちらで執り行う。
 執務室は複数あって、そのいずれもが間取りも場所も極秘扱いということになっている。現在使っている西向きの部屋はそのうちの一つに過ぎない。
 廊下に革靴の音を響かせながら、真木は一時間前にも歩いた道を逆行してその部屋に向かう。
 今の自分の身に起きているこの、足下の揺らぐような感触を最も理解してくれそうなのは葉と紅葉だが、葉は明日も朝から子供達の送迎だから万一でも酒気を 帯びるような行為はNGだ。紅葉、も考えたが仮にも妙齢の女性だというのと、できればカタストロフィ号から離れたかった、その点で九具津も候補から消え た。こちら側に来ている者のうちではコレミツが挙げられるが、しかしコレミツは深夜〜早朝のロビエト大使館張り付きメンバー――通称『早番』なので『夜 番』シフト時間帯である今頃は、もう仮眠を取っているはず。
 残る一人が、真木の心に波紋を投げた当人であるというのが皮肉だった。
 けれど。執務室の前に立ち、この扉越しに彼がいると確信すると、何故だろう安堵のようなものを感じる。
「どうぞ」
 ノックの後にそう言われて扉を開ける。マッスルは先ほど帰り際に見た時と変わらず、デスクについて真面目に仕事をしていたようだ。
「真木っちゃん。どうしたのヨ、カタストロフィ号に帰ったんじゃないの?」
「帰ったけど、また戻ってきた。仕事は済んだか?」
「スピーチとプログラムは完璧。あと残ってるのは来賓の顔と名前を一致させてから、夕方からの会談の準備だけど――どうしたのヨ一体?」
 タイを緩め、上着のボタンもかけずにやって来た自分の姿は、そんなに珍しいだろうか。
 デスクの正面に据えられているやたらと豪奢な応接セットは合計14名まで座ることができ、原材の形を生かしたどでかいロビエト産材のテーブルに、ソファ と一人がけの椅子を絶妙のバランスで配置している。まさかこの民族色の強い接客用ソファの生地が、ロビエトのとある地方の名産品で、大島つむぎも真っ青の 値段のシロモノだと一目で見抜くものは、ロビエト人以外では稀であろう。
 そのソファに腰掛けて、荷物を置くと、バッグの下からボトルを取り出す。
「飲まないか。悪いがつきあってくれると嬉しい」
 持ち込んだのは12年もののブランデーだ。カタストロフィ号に備蓄されていたものだ。ここの執務室には何かの悪いジョークのようにウォッカしか置いてい ないのだ。だがグラスはある。
「いいけど、何があったのヨ」
「……」
 マッスルの質問には答えず、真木は黙々とグラスを用意する。
 そのグラスの位置にあわせて、マッスルもまた腰かける。
「――少佐と?ナニかあった?」
 少佐、という単語で肩をびくつかせる自分が滑稽でならない。
「何もしてはいないが……いや、したのかな。どうなんだろう。いいだろう?どちらでも」
 並べられたグラスは二つ、両方にブランデーを注ぐと真木は自分のほうに口を付けて、一気に飲み干す。
 マッスルが伊達眼鏡を外し、フレームの耳側の先端を唇に当て、眉根を寄せて真木をじっと見る。
 見られている、というのは真木にもなんとなく判っていたけれど、それすらもうどうでもいい。
 再度真木が自分で自分のグラスにブランデーを注ぐと、マッスルが軽いため息と共に目線を外した。ようやく自分のグラスに口を付けたと思うと、今度は目線 をグラスに固定したまま聞いてきた。
「どうして飲みたいの?そんなに急ぐのはどうして?」
「……わからない」
 二杯目を飲み干してようやく、乾杯すらしてなかったことを思い出す。まあ、これだけ長いつきあいだし、そんな儀礼じみたことはどうでもいいだろう。さっ きから自分でグラスに注いでしまっているし。
 マッスルが外した伊達眼鏡を同じテーブル上に見ながら、3杯目を満たし半ばまで飲むと、ようやくせわしなさが消えた。テーブルに両腕をついて、首の力を 抜くと俯くような姿勢になる。
 酒は嫌いじゃない。けれど今日の酒はなんだか、愉しくなるのとは少し異なる。
 アルコール独特のこの、起きながら沈んでいくような、あるいは眠りながら浮かんでいくような感覚を求めて、酒を口にしたはずだった。そのはずだったの に。
「何も……感じなくなりたい」
 唇の間から滑り落ちたそれは、真木自身ですら軽く驚くような発言だった。
 今の自分は、信じていた場所が足下から崩れるような心地で。それにつけるちょうどいい言葉が見つからなかったが、きっと不安だったのだ。ここが自分の居 場所でいいのだろうか、という根元的な疑念。
 不思議とこの不安は、自分の依って立つところが盤石になったと思えるようになった頃にやってくる。他に行くところもなく行きたい場所もない人間にすら訪 れる、孤独との戦いなのだ。
「飲みに来たんじゃ、ナイのネ」
「?」
 マッスルもまたすました顔でグラスの酒を口にするが、それは舐める、に近い。今の真木のようにストレートで飲み干すなんて、よほどのことがなければ普通 はしない。マッスルは常識的なペースを守るつもりのようだ。
「酔いたかった……違う?」
 わからない。
 ただ疲れている。思考が悪い方へ流れている。現状を持てあましている。自分の存在そのものに疑問がある。
「忘れたい、んだ」
 その言葉を紡いだ直後に、ふいに真木の頭に滑り込んできた考えは。
 自分が今忙しくしているのは仕事のうちだとしても、少し落ち込みがちなのはマッスルの手腕に自信を喪失しかけているところが大きい。に加えて、衛星だの 惑星だのの話をしたのも、月とかなんとか言い出したのも、そう、ここに戻った時に少佐と何かあったのかと聞いてきたのも。
「……マッスル」
 思い返せば目の前の男の言葉に踊らされているような。
「なぁに?」
 頭を上げた真木。真向かいに座ったマッスルは小指を立てて――普段の格好だと笑いを誘うだけのその仕草が、今のややタイトなスーツ姿とは不思議とマッチ している――涼しげに、琥珀の液体が入ったグラスを傾けている。
 ――判ってやっているのか?
 その一言を口にするべきかどうか、真木はアルコールに冒される直前の脳で、必死で考えあぐねていた。


                                          <終>




   ■あとがき■

 
作成に当たりロビエト大使と外務大臣のページは死ぬほど見ました。
 幸せになりそうになると逃げたくなる心理というのが働くことがあるらしい。今の真木そんな感じ。
 ATFはアメリカのアルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局(俺メモ)。コメリカとロビエトは仲が悪そうだなぁと思って。
              written by Yokoyama(kari) of hyoubutter 2010.01.07

−−−−−ここまで過去のあとがき−−−−−

 はい、ここから現在のあとがきです。ふと気付いたらマッスル×真木を書いていた・・・!何故だ・・・!だったのですが、読んだ人から「いや普通の真木× 兵部でしょう」と言われたので真木×兵部としてアップします。半年近く前の作品ですがどうぞよろしくお納めくださいませ


                 
written by Yokoyama(kari) of hyoubutter 2010.05.31