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記憶によれば、万華鏡を買い与えられたのは紅葉だった。
しばらく眺めては何度かくるくる回してはいたものの、案外すぐに飽きてしまったらしく、ランチのつけあわせのポテトを食べ始めたものだから万華鏡だけが
余った。興味しんしんといえど、まだコロッケを食べ終えていない葉を後に回して、スパゲティを食べ終えた真木の手に渡された万華鏡。それを女の子のおも
ちゃだよなと思いながらも真木はじっくりと観察した。
真木の掌をいっぱいに広げた長さより少し大きい円筒形の軽い筒。幾何学模様のデザインされた側面とは逆にシンプルな上下には色の違うフタがしてあり、片
側の中央には小さな穴が開いている。
そこから見た万華鏡の中はとても綺麗だった。だから、おそるおそる兵部に聞いた。
「これ、俺が回していいの?」
「そう、回して遊ぶものだからね」
「でも、もったいない」
赤と青と緑と白と、もっと別な色たちが掌の筒の中できらきらひかっている。
河原に落ちる綺麗な石を拾い集めて夜空に投げて、朝日と共に落ちてきたものを筒の中に閉じこめたような輝き。そのひとかけらひとかけらの静かなまたたき
が、あまりに綺麗で。
「毎回違う模様になるからキレイなんじゃないか」
僕はこれでいい、と食事ではなくクリームソーダのみを頼んだ兵部が、空になったグラスの氷を赤いサクランボごとからからと回している。――そうだ、これ
は四人でデパートの屋上に行った時のことだ。
「うそだよ。だってこんなにキレイなのに、回しちゃったら変わっちゃうなんて」
あなたのように。
変わらないままのほうが、ずっと。
「ずるいよ、僕にも早く見せて、司郎!」
自分だけまだ見ていない事に業を煮やした葉に、大切すぎて回せない万華鏡を、ぐいと持って行かれて。
悲しいけれど、そういうものなのだから仕方がない。兵部も、万華鏡も、自分ひとりのものなどではない、そうわかっていたから。口は出さない、顔にも出さ
ない。
でも兵部が、そんな自分の頭に手を乗せてくれたことを覚えている。
あれから月日は流れたけれど。
本質的なところは、あの頃と変わっていない、そんな気がする。
視界に、見慣れた景色が見える。淡い模様のそれが自分の部屋の天井であることを確認して、一瞬前の光景が夢だったのだと思い当たる。
真木は起きあがろうとして、自分の左側にあるあたたかな重みに気付く。
銀色の髪をした少年。兵部だ。ぐっすりと熟睡しているように見える。
そろそろと兵部の下に巻き込まれた自分の髪をひきずり出す。長い髪はこういうとき不便だ。すると最後の一房がツン、とひっかかって、何かと思うと髪の毛
の先は兵部の手に握りしめられていた。
一体どっちが子供なのか。夢の中が現実だったあの頃を過ぎて、兵部の背丈を追い越したあたりから、役割が逆になってきた気がしないでもない。
もっとも、それが嫌だなどとは一度も思ったことはない。ただ8割の呆れと1割の諦めと1割の愛おしさで自分はこう言うだけだ。
「……やれやれ」
そうして指を一本ずつゆるめると、なんとか|超能力≪ちから≫を使わずに髪の毛の回収に成功する。
にしても。
日の光に晒された部屋の有様に、真木は自分自身にも同じ言葉をかけたくなる。
スーツは椅子の背にかけたままだし、シャツは椅子部分に脱ぎ捨てられ、ネクタイは床にずり落ちている。
だが真木のほうはまだいい。
兵部の学生服のほうときたら、『脱いだ』という単語に申し訳ない位に散乱している。
昨日の夜。
確かに体を重ねるのは久しぶりだったけれど。
服を脱ぐ前から全身をすり寄せ、煽って。
兵部自ら乱暴に服を剥ぎ取っては、昂った体を晒け出して求められると、疲れで摩耗した真木の理性ごときでは体の暴走を止められるはずもなく。
かつ兵部もそれを待っていたとばかりに千々に乱れ、底の見えない欲望の深淵へとともに墜ちていった。
そんな夜を越えた、次の朝――それが今だ。
寝る前に兵部にパジャマを着せることには成功したが、その直後から記憶がない。おそらくともに寝入ってしまったのだろうが。
がしかし、今の真木の意識はすっきりしていた。眠りが深かったのだろう。――人に何と言われようと、自分とてまだ若いのだから、一晩ゆっくり眠れば疲れ
も吹き飛ぶ。
真木は兵部を起こさないようそろそろとベッドから降りると、服を着替えはじめた。
自分と兵部の二人分のシャツと洗濯物をランドリーに置いてきてから、新聞紙を読みにダイニングの扉を開く。すると普段ダイニングには置いていないものを
テーブルの上に見つけ、真木は目を瞬かせた。
「アイロン?」
するとそのテーブルに座っていた紅葉がくつくつと笑う。ダイニングにいるのは彼女ひとりだ。態度から考えるに、どうも何か知っているようだが。
「何故アイロンが、|ダイニング≪ここ≫に?」
「ま、ね。すぐにわかるわ」
目を逸らし気味に紅葉はティーカップに口をつける。よく見れば紅葉の足下にはそこで使いましたというふうな感じで鎮座しているアイロン台もある。
「?まあ、いい」
ダイニングのテーブルに座ると、ラックから新聞紙を取り出す。置いてあるのは経済誌と大衆紙とスポーツ新聞含めて5種。真木はじめ数人が読む以外は食器
を包んだり下敷きにしたり火をおこすのに利用したりと実に多様に使用されるが、それはあくまで新聞「紙」であり、「新聞」として活用されることはあまりな
い。
とりあえず手近なものから順に読みはじめる真木だったが。
「――?」
すぐに不可解そうな顔になる。
「………??」
眉根を寄せて額に手をのせる。
「ん???」
さらに眉を寄せて、何かと対峙するように新聞紙を睨みつけて。
「!?」
立ち上がったかと思うと、とたんに別の社の新聞紙も開いては、中身を読むためではない速度でめくりはじめる。
「これも、これも?」
そうしてラックの後ろにある新聞紙入れ、これは大体二、三日から一週間くらいそこにためておいてから束ねて片づけるのだが、その新聞紙入れのほうからも
数日前までの分を出して確認すると。
「紅葉」
「――っ、くっくっくっくっ、あっははははは!」
ようやく机の上に積まれた新聞紙から目を離した真木の顔を見て、紅葉は吹き出したかと思うと盛大に笑い始める。
「誰だ、こんなことをしたのは!」
新聞紙は、中身がすり替えられていた。
同じ新聞社の新聞を、ページ順はそのままで、日付の違うもので構成されている。
一枚目は全て今日の日付なのだが、2枚目が一昨日ので、3枚目が昨日のもの、といったランダムな並び方になっている。だから、今日の新聞と思ってめくっ
た所、見覚えのある紙面にぶち当たり、さらにめくるともっと前に読んだ記事で、なのに中程にはやはり今日の記事があったりして、真木はわけがわからなく
なったのである。
「もちろん、あたしじゃないわよ」
「見てたんだろう?」
「知ってるだけよ」
そう言った紅葉は、真木の生真面目な形相が可笑しいとばかりにまたしても吹き出す。
「ぷっくっくっ、あっはっはっ」
「何だって、こんな手の込んだことを」
「さあ?っくくく。やりたかったからでしょ」
そんな紅葉の台詞に、育て親の影響をかいま見る。『僕はただ、したいと思ったからしただけさ』とか何とか、兵部なら言いかねない。しかもなんのごまかし
もなく、心の底からそう思っている人だ。
「あたしが来た時は、新聞紙にアイロンをかけてたわ」
サングラスの下から涙を拭っている紅葉に、真木はどうして止めなかったのかと詰問したい位の気持ちだった。あまりに手間のかかる、そしてあまりになんの
得にもならないイタズラに。
「道理で、違和感を感じなかった訳だ」
精一杯苦々しい顔を作りはするものの、肩が落ちてしまう。普通、新聞紙を一度バラバラにすると、微妙な折り目の違いや、紙と紙の間の隙間の具合などです
ぐ分かるものだが、そこでアイロンの出番、ということだった訳か。
「まったく、悪知恵だけは働く」
もっと他にやるべきこともあろうものを。
「誰の仕業かわかった?」
「一人しかいないだろう」
真木と紅葉の頭に浮かんだ人物はおそらく同一人物だ。
「葉め……」
テーブルに両手をついてその人物の名を呟くと、紅葉は否定しなかった。
「他の子達も手伝ってたから、葉だけを責めちゃダメよ」
「あきらかに葉が扇動しているじゃないか」
「寂しいのよ」
思いもしなかった単語に目を丸くする。
「何故だ?」
紅葉は再度カップに口をつける。目線はそのカップの中に向けられていて、サングラスが邪魔して真木には表情が読めない。
「真木ちゃんがかまってくれなくって」
「そういうものか?」
構うも何も、自分はもともとうるさ型だ。甘えさせすぎたり、突拍子がなかったりする兵部に、出来る範囲で常識論を唱えることが役割なのだと認識してい
る。
そして葉もそんな育ての親そっくりに育った。だから、どちらかというと煙たがられているというほうが近いと思うが。
「そういうものなの。どちらも大事だと、どちらかずつしか大切に出来なくて歯がゆいの」
紅葉の言葉が誰と誰を指すのかを真木は察した。
葉はずっと兵部たちと一緒にいたはずだが、昨日ひととおりの工作を終えて久方ぶりにここへ戻ると、兵部は用があるから朝まで自室には近寄るなと言って真
木を|瞬間移動≪テレポート≫で部屋に運んでしまった。そのため、真木はほとんど誰とも会話を交わしていない。もちろん葉とも。
それを、戻った真木を兵部が独占していると思っていて、かつ同じ強さで真木が戻るなり兵部を独占したと思っているとすれば――理解できない感情ではな
い。が、それにしたって。
「どちらも大事にすればいいんじゃないのか」
「できないからこういう手段に出るのよ」
確かに最近は忙しかった。あまり忙しさを表に出さないように心がけてはいたつもりだったが、その中で比較的手の空いていた葉に仕事以外の、子供達の世話
などを任せてしまいがちだったことは否めない。
「多分ね」
そう言ってから紅葉は顎に手を掛ける。
「……だと思う、けど……どうかしら」
空になったカップを指にもたれさせながら空を見て考え込んでしまった紅葉の姿に、真木は奇妙な疲れを感じた。
ダイニングを出てキッチンに向かう。
新聞は読めなかったが、せめてコーヒーは飲みたい。ミルのコーヒーメーカーはダイニングに置いてあるが、真木やマッスルなどが好むエスプレッソマシンは
キッチンにあるのだ。
「全く、あいつの考えることはほんとによくわからん」
せめてもの意趣返しに新聞紙を極力元通りにして置いてきたものの、それでも補いきれない不満を口に出してぼやく。それはまあ、紅葉の言うことはわかるも
のの、実際には真木がいたずらの被害に晒されているという事実に違いはないのだから。
時刻は九時半。朝食は取っていない真木だったが、キッチンに昼食当番が詰めているとも思えないのでノックもせずにドアを開く。
扉を開けてから今日の昼は葉の当番のはずだということに思い当たる。誰もいないキッチンの台の片隅には、買い物袋が置いてあった。
ガサゴソと音を立てて中を覗くと、中身はホイールトマトとデミグラスソースの缶に、スパゲティ。それと挽肉に、冷凍のフライドポテト。底にはタマネギも
鎮座している。
組み合わせから考えて、おそらくは、ミートソーススパゲティ。に、フライドポテト。
「……」
つい数時間前に見たばかりの夢。その映像を辿りながら思い当たることがあって冷蔵庫を開けると、メロンソーダのボトルが数本並び、冷凍庫には澪やカズラ
の買い置きとは違う徳用のバニラアイスクリーム。
「|超能力者≪エスパー≫同士のカン、なのか?」
あるいは葉がテレパシーにでも目覚めたか、いや兵部が無意識に夢を中継したなんてことは――ないとは言えない。あれほど密着して寝ていたのだから。
「何というか……」
ゆっくりと息を吸うと、一気に吐き出す。
そうしておもむろにシンクの上の扉を開くと缶の群れをよせるように|それ≪・・≫を探す。気を抜くと子供達に食べられてしまいそうな桃缶やみかんの缶は
ここに置いてあるはずで。
「たしか……あった」
他の果物の缶より一回り小さな缶。その中身はさくらんぼのシロップ漬けだ。
不自然なくらい赤いそれはフルーツポンチの時などしか使わないが、同じく不自然な緑色のクリームソーダにはこれがないと。少なくとも兵部は以前そう主張
していた気がする。の割に、食べている姿は記憶にないが。
買い物袋の横に、イラストのついたさくらんぼの缶を置いてから、真木は考える。葉の料理はどうにも雑だ。とはいえあの年頃の男性で料理ができる人間のほ
うが一般には珍しいのはわかる。ホールトマトや挽肉でミートソースを作ろうという気があるぶん、ミートソースとして売っているものを使用していた頃に比べ
れば大分精進もした。だがじゃがいもは買い置きがあるというのに、冷凍したまま揚げるタイプのフライドポテトを買ってきて、かつそのまま常温で放っておく
などという行為は、真木にとってやや歯がゆい。
が、これ以上手を出したらキリがなくなりそうで、真木はあえて意識をエスプレッソマシンに移す。
コーヒーの粉を取り出し、まだわずかでしかない香りを嗅ぎながらマシンにセットする。普段は、このエスプレッソができあがるまでの時間が、何も考えずに
安らげる数少ない時間であるのだが。
「――ええい」
今日はどうもそういう気になれない。キッチンの下の戸からパン粉、冷蔵庫から卵、冷蔵庫のわきの野菜棚からじゃがいもを取り出し、水を張った鍋をコンロ
にかけてからボウルと木べらを用意する。挽肉も少々頂戴しても構うまい。あとは塩と胡椒と、そうだ小麦粉も――
――そうして、しばし時間が経過して。
もはやエスプレッソマシンのコーヒーはすっかり冷めてしまった頃。
「よし」
もし、万一、同じ夢を見たと仮定して、だが。
真木は自分がスパゲティを食べていたとわかる。だが、だからこそ、スパゲティを食べ終わった皿しか見えておらず、食べていたのがミートソーススパゲティ
であると断言できないのだ。とすれば、葉も同様に、自分の食べていたものを記憶してないかもしれない。
幸い材料もあったことだし――台所中から材料を探し回ったことは忘れて――作ってみた。
それが今目の前の銀のパットに置かれた、コロッケの小山だ。もっとも、衣をつけたところで終わってはいるが。
紅葉の得意なクリームコロッケでもなく、兵部の好きなチーズ入りのかぼちゃコロッケでもない。ジャガイモと、言い訳程度の挽肉に衣をつけただけの、ごく
平凡なコロッケだ。
夢で葉が食べていたものと同じ。
――これで、寂しさの借りの埋め合わせはしたはずで。
「フライドポテトもあることだし、あとは自分で揚げろよ、葉」
でも新聞紙の分の貸しは残して。
真木は冷えきったコーヒーカップを持ってキッチンを出た。
自室のドアを何の気なしに開けると、そこにはパジャマの兵部が真木の目線の高さにまで浮かんでたたずんでいた。
「少佐」
思わず目を瞠る真木。自分の部屋に自分以外の人間がいることをうっかり忘れそうになっていたからなのだが、兵部はそんなことどうでもよさげにふわ、など
と欠伸をする。
「おはよう、真木」
「おはようございます」
共用することの多い玄関やリビング、キッチンなどはそう強くはないものの、アジト全体に対ESP処理はかけられている。特に各自の私室の並ぶ周辺はほか
の場所より強く、兵部や、幹部である真木・紅葉・葉の周辺はとりわけ入念である。もっとも、各々が本気を出せばまったく使えないという訳ではない。でなけ
れば幹部になどなっていない。
だがその一方で、兵部に関しては一切それは通用しない。ECMの類が効かないからだ。
だから昨夜のように真木を攫って|瞬間移動≪テレポート≫することも、今のように|念動力≪サイコキネシス≫で浮くことも可能だ。本人は多少疲れるとは
言っているが。
「起きてらしたんですか」
「うん」
後ろ手でドアを閉めると、片手にもったコーヒーカップはそのままに、浮いた兵部を逆側の腕と肩で抱きかかえながら部屋の奥へと入る。
カップをサイドのテーブルへ置くと、兵部のことはベッドへと運ぶ。兵部は浮力を解くでもなく連れられるがままになっていたが、ひざまずいた真木にベッド
の上に座らされて、はじめて|念動力≪サイコキノネシス≫を解いて自重でベッドへ緩く沈む。
「もしかして、起こしてしまいましたか?」
「わかんない。でもお前がいなくなってから起きたのは確かだよ」
「すみません」
「謝らなくていいからさあ」
ベッドにかがみこんだままの真木の両肩の上に、羽根のように軽やかに腕を回す。
「しない?」
それがどういう意味かぐらい真木にもわかる。
「しょ、少佐っ?」
だって、昨夜の夜もあれだけ激しくしたのに。
「もうすぐ昼ですよ」
「関係ないね」
便利な言葉だと思う。世の中の全てこの言葉で片づけられたならどんなに楽だろう。
「関係ありますから!もうみんな起きてるんですよ?」
「だから?」
この人は、とことんこれで行くつもりか。
と、兵部は口を尖らせる。
「だってさ、起きたらお前いないんだもん」
「あ!いや、それは」
新聞紙で、コーヒーで、なんやかやで。
たしかにけっこうな時間、ここを留守にしてしまっていたかもしれない。
「……すいません」
ひざまずいてしゃがみかけの姿勢のままだった真木が、心のままにうなだれると、耳元で兵部がくすりと笑う。
「だからさ、しようよ?」
笑い声があまりに無垢で、その誘う言葉がとても耳に心地よいものだったから。
「少佐……」
迷って少しだけ体を離すと、兵部は微笑んでいた。
「だってさ、昨日、1回しかしてないんだぜ?若いのに」
兵部の顔が近づいてくる。行為の時だけ紅く染まる薄い唇がほのかに色づいて。真木の頭を、部屋のカギをかけないと、という考えが一瞬頭をよぎる。が、そ
んなものはコーヒーよりも香り高く馨しい接吻の前に、熔けて散ってしまっていた。
「信じらんない」
兵部の呟きには呆れと怒りが混ざっていて、真木は自省するしかない。我慢できなかった自分をわかっているからだ。
――あんな夢を見て。
あの頃、まだ憧憬の対象でしかなかった人が、今、自分の体の下で喘ぎ、快楽に酔い痴れているなんて信じられなくて。
だから確かめたくて、何度も想いを突き出した。
「すいません」
背を向けるために寝返りをうつことすらできない兵部が、顔だけを背けて言い放つには。
「それ聞き飽きた」
若いのに、とそもそも煽ってきた本人のはずの兵部に、今はしこたま罵られ。
けど、やめたらもっと怒られるのは経験上わかっていたし、今日の真木には止める気がなかった。元来、ほどほど、とか、途中で、というのはあまり得意では
ない。その上――。
「でも、今日の昼は貴方の好きなものが出ますから」
――闇の中で互いを探るように肌を合わせるのとはまた違う。日の光の下で、やわらかな産毛が輝いて見えるほど近くに体を寄せ合えることの幸せ。それが真
木の心を歓喜に震わせてやまなかったから。
「起きれると思うの?」
兵部はそう不満を言いながらも、後ろからその頬を撫でる真木の指を払いのけるなんてこともしない。
「俺が抱いていきますよ」
真木にとっては、兵部一人ぐらいどうとでもなる。が。
「イヤだ!そんな恥ずかしいこと」
どうやらこれは本当に嫌だったらしく、反動をつけて体を真木のいる側とは反対側に横向けてしまった。背けられて行き場のなくなった指で、兵部の頭を後頭
部からうなじのほうへと撫でると、絹のような髪に軽く口づける。
「じゃあ起きないと」
「無理だってば」
「|超能力≪ちから≫を使えばいいじゃないですか。クリームソーダもありますよ?」
「え、ほんと?」
思い切り食いついてきた兵部に真木は心の中で苦笑した。まったく本当に、どちらが子供なのかわからない。
「本当ですよ。だから起きてください。シャワーを浴びないと」
「んー、もう少し」
兵部を起こそうと前へとまわした真木の手に、兵部がプルプルと首を振る振動が伝わる。
「駄目ですよ、今浴びないと間に合いません。それに、俺と違ってあなたは綺麗なんですから」
後ろから抱きすくめられながら何の脈絡もなく、かつ真木らしくもない言葉を掛けられて、兵部は目を丸くする。
「何だよ、突然」
「綺麗ですよ、少佐。いつどんな時も、貴方は」
デパートで買い物をして、おもちゃ売り場で遊んで、屋上で食事をしたあの頃と。
何も変わらない。
禁欲的な外見と裏腹に、気まぐれにコロコロと変わる言動も。
彼自身では決して見ることのできない、ふとした時の横顔に宿る、落とせば割れてしまいそうな儚さも。
それを補ってあまりある、怜悧な瞳の裏に隠された烈火のごとき熱情も。
時は残酷に過ぎるけれど、だからこそこの瞬間を切り取っておきたいと願ってやまない。
そしてきっと今の一瞬後には、一瞬前のきらめきも同じくらい大切なものになるだろう。
愛おしいと思う気持ちは、欲しいと願うことではなくて、大切なものが心に増え続け、そして溢れてくることだ。
「あなたはずっと、俺の万華鏡ですから」
時々不器用にしか接することのできない時もあるけれど。
「いいえ、あなたたちは、ですね」
もったいないからと万華鏡を回せない自分のかわりに、目まぐるしいほどにくるくると回す作業に、兵部だけではなく葉も紅葉も子供達も加わって。
きらきらと輝きながらも決して途切れることなく溢れるこの想いで――包みたい。
そう思える人々がいる幸せを、そしてもっとも包みたい人間がきょとんとした顔で腕の中にいる幸せを、光の中、真木は体中で感じていた。
<終>
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■あとがき■
今回言
いたい・伝えたいことは、真木に託しました。18巻あたりを見てて思うのは、葉にとってまだ愛は求めるものでしかない年頃じゃないのかなーという感じがし
たので、こういうふうになりました。兵部はまあ……ああいう人ですから……がんばれ真木。真木はきっと愛したがり。
サブタイトルは伊藤サチコの曲から?いいえ、英訳しただけです。でもMUSIC LIFE的な感じになったかもしれない。
あと、その、実は、自分
はコーヒー飲めない体質で。朝はコーヒーじゃないととか、ミルに限るとか、エスプレッソは美味しいとか、赤い缶のW●NDER朝(アサ)専用をまちがって赤い缶のシャア専用と言ってしまったとかいう人たちがかっこよくって憧れまくってるほ
うの人間です。調べたつもりではいるんですが、インスタントコーヒー1杯の量って、ココアと同じ大盛り3杯でいいの?っていう次元なので、どっか間違って
るところあったら言ってください。(いや赤い彗星じゃなくて(笑))
written by Yokoyama(kari) of
hyoubutter 2009.12.13
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